宝塚に恋して

美しいものを見ることには価値がある。

花組「アウグストゥス」考察

先日花組アウグストゥス」「Cool Beast」の2回目観劇をしてきました!

後者はもう断然たのしかった笑

1回目より心の準備ができていたので、記憶が鮮明になって良かった〜!という気持ち😌✨

 

 

人生初の立見席の感想

初の立見だったので、どんな感じなの…?と身構えておりましたが、意外と大丈夫💪笑

私は幕間にキャトルに行ったので本当に3時間ずーっと立ちっぱなしで、たしかに疲れたけど、感覚的にはディズニーランドで1日過ごしたときの脚より若干軽いくらい。疲れたけど楽しかったし、別に無理ではないかな!って感じです。座れるなら座りたいけど笑

あと意外と最後列の人の動きに見えやすさが影響される笑

たぶん最後列の方々は、最後列だから大丈夫だろう、という考えなんでしょうが意外と視界に入ります!笑

私の前に座ってた方は何度も座り直すし前のめりになるし頭をよく動かすし酷い時は手が上がってる笑

でも私はそれこそ後ろに誰もいないので、その動きに合わせて頭を動かせたのは気楽で良かったですね。隣の人めっちゃノリノリで揺れてたし。

 

「憎しみ」について

では、本題に入り、前回はひたすらよく分からなかったアウグストゥスについて考えたいと思います🙋‍♀️笑

まずこの作品のテーマであろう「憎しみ」について。2回目の観劇では誰が誰を憎んでいるのかを中心に、頑張って見ておりました!笑

私の解釈では以下のとおり。台詞は全部うろ覚えです(ごめん)

 

ポンペイア→カエサル(派)

ポンペイアはオクタヴィウスに形見の剣を返された場面で「貴方のことを憎めなくなる前に帰って」と言っていたので、おそらくカエサル派を憎んでおり、そこにオクタヴィウスも含まれると考えられます。

 

②ブルートゥス→カエサル

暗殺のときに「貴方は後継者にアントニウスを選んだ!ユリウスの血より勝るこの俺をないがしろにして!」みたいなことを言っていたため、「共和制のため」はあくまで建前だと考えられます。そのためにポンペイウスに寝返ったとも話していましたし。

 

③民衆→ブルートゥス

これは今回新たに気付いた「憎しみ」。ブルートゥスたちは共和制のためにカエサルを殺したにもかかわらず、民衆はブルートゥスたちの処刑を望んでいる。そこで、声明をだす、と主張するブルートゥスに対して、仲間は「民衆は憎しみに支配されている(だから声明なんて聞かない)」と反論します。民衆は英雄・カエサルを殺された憎しみをブルートゥスに抱いていると解釈できるでしょう。

 

④オクタヴィウス→ブルートゥス

ブルートゥスの処刑後、神殿でポンペイアに出会ったオクタヴィウスは「愛する者を失う憎しみを分かっていなかった」と、カエサルを殺したブルートゥスへの憎しみを打ち明けます。

 

⑤ブルートゥス→オクタヴィウス

これも新たに気付いた「憎しみ」。カエサル暗殺後、ユリウス家に襲撃したときにブルートゥスは「カエサルの庇護のもと、ぬくぬくと育ってきたお前に何がわかる!」と言います。これは終盤にもオクタヴィウスへの呪いの言葉に。

 

クレオパトラ→オクタヴィウス

アントニウスの死を目の当たりにしたクレオパトラは「信じたのに!」とオクタヴィウスを責めます。オクタヴィウスが殺したと思ったのかもしれません。これも終盤にオクタヴィウスの心に響きます。

 

これらの「憎しみ」の中で解釈されたのは①のみ。1回目の観劇のときと結論は変わらず、オクタヴィウスとポンペイアは「憎しみが解消され和解に至った唯一の関係」だと私は考えます。

 

終盤、神殿でアントニウスクレオパトラたちの声に苦しむオクタヴィウス。それに対してポンペイアは「彼らの声に惑わされないで」のようなことを言います。彼らの声は、オクタヴィウスを非難し憎む声。つまり、あれほど憎しみを断ち切りたいと願ったオクタヴィウスも、憎まれる存在になっているということ。ポンペイアは「憎しみはなくならない」と言いながら、祈りの声の中にある〜みたいなことを言います。要するに、憎しみはなくならないし貴方も憎まれてるけど、オクタヴィウスとポンペイアのように憎しみが和解することもあるから、その経験を忘れないで、ってことですよね。

 

 

「英雄」について

次に、この作品における「英雄」について論じていきたいと思います。作中において描かれた英雄は、カエサルアントニウス→オクタヴィウスの3人。

 

1人目・カエサル

・・・カエサルは民衆に英雄と讃えられるから英雄。民衆によって定義された「英雄」と言えます。

 

2人目・アントニウス

・・・アントニウスは、英雄・カエサルを殺したブルートゥスを殺したため、英雄と民衆は讃えます。これを狙ってアントニウスはブルートゥスたちを即刻処刑したのでしょう。つまり、アントニウスカエサルと同じく、民衆によって定義された「英雄」だと言えます。

 

アントニウスが英雄だとされたことで、オクタヴィウスの中での「英雄」像が崩れ始めたと私は考えます。

オクタヴィウスは、カエサルの暗殺者たちを「裁こう」と主張します。先述のとおり、彼は暗殺者たちを憎しみながらも、それを抑えているのです。神殿でも「自分を欺き〜」と言っていたため、本心では処刑を望んでいたと推測できます。

それに対してアントニウスは、「処刑する」と主張し、すぐに実行します。憎しみゆえに処刑を望んだ民衆の声に応えたことで、アントニウスは「英雄」になるのです。

「憎しみを抑えたオクタヴィウス」ではなく「憎しみの声に応えたアントニウス」が英雄になってしまう。これは自分の思い描いていた英雄なのか、疑問を抱いたのでは。

だからこそ、今度はオクタヴィウスを英雄と讃える民衆に対して、「民衆が私以外の者を英雄と呼ぼうと、私は命をかけてローマのために戦う」と宣言したのではなかろうか。これは最後の「私は英雄ではなく、尊厳ある者・アウグストゥスの称号を得る」という台詞に繋がっていると考えます。

この作品のテーマに「英雄」もあると思います。オクタヴィウスはこれまでの英雄とは異なる存在だと、この作品は主張したかったのでしょう。

 

 

亡霊について

私が前回の観劇で、よく分からなかったと述べた海戦の場面。亡霊とポンペイアが出てきた点は今回も分からなかったです。

 

本当に素直に受け取るならば、

アントニウスの「俺を斬りたければ憎しみで心を満たせ!」という台詞に呼応して、オクタヴィウスが憎しみで心を満たす。

亡霊が出てくる

オクタヴィウスが戦いにおいて優勢になる。

ポンペイアが出現。亡霊がいなくなる。

ポンペイアがオクタヴィウスの憎しみを浄化した、と考えられます。

 

つまり、憎しみに支配されたオクタヴィウスをポンペイアが救ったという展開です。

しかし、私が前回考えたように、オクタヴィウスにはアントニウスを憎む理由がないのです。オクタヴィウスはアントニウスだから戦うのではなく、ローマの敵となってしまったから戦っています。本当に憎むとしたらオクタヴィアの件くらいしかないでしょう。だから、アントニウスの「憎め」という言葉によってオクタヴィウスが「憎む」という過程に違和感がある。

 

アントニウス自身が憎んでブルートゥスたちを殺したわけではないので、ブルートゥスたちの亡霊が出てきたことも違和感があります。まぁ処刑された側のブルートゥスたちはアントニウスを憎んでいるかもしれませんが。

 

オクタヴィウスは何に対する憎しみで心を満たしたのか、そしてなぜ亡霊が出てきたのか。

私なりの結論は2パターンあります。

まず1つ目。ブルートゥスへの憎しみで心を満たした。→よってその表現として亡霊が出てきた(アントニウスは亡霊ではなく、憎しみに満たされたオクタヴィウスに怯えた)。

作中でオクタヴィウスが抱いた唯一の憎しみ、それはカエサルを殺したブルートゥスへの憎しみです。アントニウスに「憎しみで心を満たせ」と言われ、思い浮かんだのがあのときの感情だった、と考えれば納得がいきます。ブルートゥスたちもただの亡霊ではなく、オクタヴィウスが憎しみを抱いていることを示した表現だった可能性もあるのでは、と思います。

ただ、ブルートゥスたちは海戦後、エジプトに戻ったアントニウスの周囲にもいます。そしてアントニウスの自害後に消えました(たしか)。つまり、オクタヴィウスの憎しみはポンペイアによって浄化されたにもかかわらず、ブルートゥスたちはいまだ残っていたのです。よって、彼ら亡霊はアントニウスが見たもの。そしてオクタヴィウスの憎しみの表現ではないと考えられます。

 

2つ目。話の構成の都合。

オクタヴィウスはアントニウスに普通では剣で勝てません。そこで、オクタヴィウスが勝つために、アントニウスを動揺させる亡霊を出したと私は考えます。

正直これが私の中では1番しっくりきます。ポンペイアを出したのも、出番を増やすためでは?

最も緊張感のある場面でヒロインがおらず、問題の解決に関わっていないなんて、トップ娘役退団公演に相応しいとは言えません。それを防ぐために、ポンペイアを海戦でも登場させたのではないでしょうか。

 

ポンペイアの死について

なぜポンペイアは死んだのか。

まぁ憎しみがなければ生きていけなかった、と本人が述べているのですが笑

前回にも述べたように、それではポンペイアは最後まで憎しみに運命を振り回された可哀想な人になってしまいます。憎しみを絶ったといいながら、それ以外に生きる理由を与えることもできず、それは救ったとは言えないと私は思ってしまうのです。オクタヴィウスがもう少し悔しがってくれれば納得はいったかもしれません…。

何の根拠もないけど、これも話の都合だと私は思います。私は歴史をほとんど知らないのですが、オクタヴィウスは史実では全く異なる女性と結婚したそうですね。作中でポンペイアを生かしておけば、そこまでは描かれないとしても、史実と異なる結婚をするか、ポンペイアと別れて史実どおりの結婚をするしかありません。後者は宝塚的にはよろしくない。よって前者になるけれど、おそらく田渕先生は歴史のIFを描きたい方だと思われる(異ルネみたいに)ので、それも嫌だったのでは?たぶん史実から創作をして、さらにそこから史実に繋がるストーリーの構成がお好みなんだと勝手に推測しているんですけど…。異ルネもたぶん書きたかったのは「なぜモナリザは微笑んでいるか」の回答ですよね。こちらでもカタリーナは死んで、レオナルドダヴィンチが生涯独身だった、という史実に則っています。

よって、本当に根拠は何もないけれど、史実に寄せるためポンペイアは死ぬ必要があった、と私は考えます。(勝手に色々言ってしまって田渕先生ごめんなさい)

 

おわりに

色々考える余地はあったし、ビジュアルが最高だったけど、あんまり私の好みの作品ではなかったなぁと改めて思いました。

また観るのはちょっとキツいかも…🙄

千秋楽のライビュを見送るくらい、また観るのは辛かった。ごめん。

 

明日は千秋楽!早いですね😢

華ちゃんが退団してしまうのがすっごく悲しいです。

スカステの録画を見て、華ちゃんへの想いを馳せます…🥺💗